2011年はフランツ・リスト(1811~1886)
生誕200年記念の年である。ハンガリーのライディング(現在はオーストリアのブルゲンラント州)で生まれたリストは、ピアノのヴィルトゥオーソとしてヨーロッパ各地を演奏旅行で訪れた。
ヴァイマル宮廷楽長時代(1848~1861)には楽長職に加えて作曲家として活躍した。さらに1869年から1886年までヴァイマルに住んだリストは、ドイツ中部の小都市ヴァイマルにとどまらず全ヨーロッパに知られる存在であり、およそ400人ともいわれる多くの弟子にピアノを教えた。
彼は1886年7月、ヴァーグナーの楽劇《トリタンとイゾルデ》を見た数日後に亡くなり、娘コージマ(ヴァーグナーの妻)の希望でバイロイトの墓地に眠る。
フランツ・リストの家(現在 リスト博物館) |
今回の展示では、リストの自筆ファクシミリで、彼の筆跡や推敲のプロセスが見られるばかりでなく、生誕200年を記念して世界で最も多くの原典資料を保存するヴァイマルで開催されたリスト展の様子も紹介する。
リストの《ピアノ・ソナタ》ロ短調 は、1853年に作曲され、ロベルト・シューマンに献呈された。発表当時は賛否両論があったが、19世紀を代表するピアノ・ソナタであり、ヴァーグナーが「美しく、偉大で、まじめで気高く・・・」と絶賛した作品である。
展示:《ピアノ・ソナタ》ロ短調 自筆ファクシミリ |
リストにとって聴衆を楽しませ驚嘆させることが演奏会の大きな目的であり、フーガや長大な作品を演奏するだけでなく、当時流行していたオペラのアリアや重唱をピアノ用に編曲して披露していた。
展示:ヴェルディのオペラ《リゴレット》から有名な四重唱に基づくピアノ曲《リゴレット》演奏会用パラフレーズ 自筆ファクシミリ |
ピアニストとしてヨーロッパ中を旅行していたリスト、1843年10月から12月ドイツ中南部を訪れた時に歌曲を作曲している。
展示:ピアノ伴奏歌曲「Wenn die letzten Sterne bleichen最後の星々が消えるとき」1843年10月20日作曲。最近発見され2007年に初めてヘンレ社より出版された自筆 ファクシミリ付き初版楽譜 |
(大阪芸術大学音楽学科教授 芹澤秀近・芹澤尚子)